西口 洋平

CATALYST一般社団法人キャンサーペアレンツ創設者

大阪府出身。妻、娘(9歳)の3人家族。両親も健在。 2015年2月、35歳の時にステージ4の胆管がんの告知を受け、孤独感、不安感、 喪失感を持つ。周囲に同世代のがん経験者がいない状況のなか、インターネット上 でのピア(仲間)サポートサービス「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう~」 を立ち上げる。 インタビュー記事:https://aete.co.jp/interview/nishiguchiyohei/

一般社団法人キャンサーペアレンツ創設者:https://aete.co.jp/interview/nishiguchiyohei/

インタビュー 体験&おすすめホスト

今回のカタリストは、子どもを持つがん患者同士が、ウェブを通じて交流できるコミュニティサービス『キャンサーペアレンツ』を主宰する西口洋平さんです。35歳の時に最も進行したステージ4の胆管がんと診断された以降に、人生で初めての起業という大きな挑戦をされた西口さんの出会いと変化の物語をお伺いいたします。


 

―キャンサーペアレンツという限られた人たちのコミュニティに入ることはできませんが、一部公開されている参加者の皆様の投稿を拝見させていただきました。カタリストの人選では共感と尊敬の念を持つ一方で、客観的な視点で決意の背景に潜む葛藤などを想定しインタビュー実施前に整理をしているのですが、今回正直に申し上げると、西口さんやその取り組みを客観視できない自分がおりました。

 

誰にでも、いつでも起こりうる病気であるので、客観的にではなく、主観的に考えてしまうのかもしれませんね。それこそ、僕の活動の意義の1つであると言えます。

 

―おっしゃる通り、色んな人の声や物語を読んでいるうちに、いつの間にか自分だったらどうなのかと考え始めてしまっていたと思います。

 

がんは、病名としては一般的で耳にすることも多いのですが、自分自身がそうなる以前はずっと他人事でした。普通に働いて、普通に家庭を持ち、普通の人間だった僕ががんになったということ。怖い病気なんだけど、恐怖を煽りたいわけではない。時間の考え方、お金の考え方、生きている意味や自分のやりたいことってなんだろうと考えるきっかけになれればと思っています。

 

―キャンサーペアレンツは、子どもを持つ親同士のみが利用できるのでなく、今を普通に生きていると感じている人たちにとっても意義がある取り組みなのですね。

 

僕自身が本当にそうだったので、病気になったからといって偉そうに言えることは何もないなと思っているんです。病気になるまで、死ぬことを考えたこともありませんでしたし、僕は両親ともに健在なのですが親より先に死ぬ可能性についても、考えたことはありませんでした。リアリティが全くなかったからです。

 

―そんな状態から突然がん宣告を受けるという経験が、起業という一歩を踏み出されたことに繋がるのでしょうか?

 

病に対する恐怖ではなく、冷静になってみて色々と考えてみたんです。検診にいきましょうと啓蒙することもとても大事だけれど、目の前の仕事を一生懸命やろうとか、お母さんにありがとうと言ってみようとか、そんなきっかけになれれば嬉しいなと思っています。がんという病の中に飛び込むと、そのコミュニティの中には病気を治したいと必死に戦う人たちがたくさんいます。僕自身、周りに相談できる人がいなくて、そういう場所に飛び込んでみて、たくさんの声を聞いてきました。医者とは、医療とは、病院とはこうあるべきというお話しもたくさんあるし、共感もする。けれど、それ以上にこういった集まれる場があることのありがたさや、病になったからこそ出来ること、伝えられることがあると思いました。

 

 

―やはり僕は今回のテーマを他人事として聞くことができません。だからこそ、西口さんの物語を聞いてみたいと思うのですが、まずは幼少期のお話しから聞かせください。

 

僕は大阪で生まれて、3人兄弟の末っ子でした。両親が共働きということもあり、小さい頃は鍵っ子でした。末っ子の自由さもともなって、目立ちたがり屋だったと思います。小学校に入ると、目立つ方向性がアウトローではなく、生徒会などのど真ん中にいました。そっちの方がカッコいいと思ったんですね。スポーツは小学校のころからずっとサッカーをやっていました。

 

―クラスの中でもかなり目立った存在だったのでしょうか?

 

うーん、正直そこまでではないと思います。学力的にはずっと中の上ぐらいでしたし、スポーツもそこそこという感じで、飛びぬけたものはなかったと思います。けれど目立ちたいという願望があったので、その後の学校選びも、就職先選びも共通しているのですが、大きな組織を避けて、小さな山で上の方にいたいという性格でした。

 

 ―上の方にいたいということは、リーダーシップを発揮される機会も多かったですか?

 

高校・大学時代にサッカー部のキャプテンをした経験があるのですが、今から思うと僕はリーダーたる行動が出来ていなかったと思います。監督という絶対的な権力者に対して、言われたことを実施するだけ。その中で自分が一番行動で示すんだという想いはありましたが、行動することでしか示せることはないと思っていました。

 

―行動で見せることは、重要なことだと思うのですが否定的な感覚をお持ちなのはなぜですか?

 

僕が何かを言い出すことはなかったからです。全て言われてから、役割を担う。それってリーダーとしては不足していると思うんです。

 

 ―言い出すことをしなかったのは理由があるのでしょうか?

 

自信がなかったんです。勝ちたい、上に行きたいと思う気持ちはあるのですが、特別秀でたものがなかったからこそ、そこにいける根拠や自信がなかった。就職活動の時もやはり同じ考えで、当時はまだ小さな組織だったエン・ジャパンに行きました。

 

―仕事に対してはどんな風に向き合って来られたんですか?

 

常に全力でした。良くない言い方かもしれませんが、仕事人間だったと思います。2002年に入社して2015年にがんを告知されたんですが、それまでは家庭よりも仕事を優先するような人間でした。

 

 

―ぜひどんなお仕事をされてきたかをお教えください。

 

エン・ジャパンは広く人材のマッチングを手掛ける会社なのですが、入社からどんどん事業が拡大していって、自分だからこそ出来ているのか、規模が大きくなっているから出来ているのか区別がつかなかい。そんなことにお構いなく、大きくなっていく、仕事の幅が広がっていっていくことは私にとって大きな遣り甲斐になっていました。4年目には、大阪から東京に異動になり、突然部下30人、そのうち新卒が20人という大きな仕事を任されることも経験しました。その後は、リーマンショックがあり、リストラを実施する立場を経験したり、新規事業を手掛ける仕事もしてきました。

 

 ―順調な仕事人生の中で突然にがんを告知されたんですね。

 

順調とは言えないと思います。社会の波と同じように、社内の中での僕のサラリーマン人生も浮き沈みがありました。けれど、がんの宣告があった時は、まさに手掛けていた仕事が軌道に乗り始めたというタイミングではありました。

 

―ご結婚、お子さんの誕生はどのタイミングだったのでしょうか?

 

2007年に結婚し、子どもは翌年生まれました。結婚してからがんを告知されるまでは、子どもが起きている間には、ほとんど家に帰れていない状態でした。子育てをしたという記憶もほとんどありません。申し訳ないなという気持ちもありましたが、やはり仕事に遣り甲斐を感じていて、妻もそれについて何か言うことはなかった。正直にいうと、家庭より仕事という状態でした。

 

―がんと分かるまではどのような状況だったのですか?

 

2015年2月にわかったのですが、その半年前から下痢が続いていて、体重が減っていました。検査もしたんですが、その時は悪いところはないという診断でした。その後、黄疸が出たことにより再度検査した結果、ステージ4の胆管がんであることがわかりました。症状が下痢しかないことから、がんと疑うことができず、見つかりにくいがんだったようです。

 

 

―がんがわかってから、気持ち・仕事・家族。どんな風に変わってきましたか?

 

まずは入院して手術するために仕事を3ヶ月休むということの衝撃と復帰の不安でした。そんな人は周りで見たこともなかったので、3ヶ月休んだらもうダメなんじゃないかと思っていました。それまでは仕事が9割だったので、やっぱりがんと分かった時に仕事のことを考えました。けれど、仕事に対しても以前まではなんとなく長いスパンで、『いつか』こんな風になれたらいいなというなんとなくの想いがあったんですが、キャリアについては考えられなくなりました。未来がどうでも良くなった。ただ、納得のいく仕事がしたいなと思いました。

 

―ご家族についてはいかがでしょうか?

 

子どもや家族ともっと一緒に過ごしたいという気持ちが生まれてきました。子どもって儀式や節目が多いから、そこまで生きたいなと思う気持ちになるんです。だからこそ、死にたくないという想いは、今でも当然強いです。当たり前のことなんですけど、死を意識しているからこそ生まれる特別な感情だと思います。

 

―がんという病に出会って、西口さんは大きく変化されたんでしょうか?

 

それまでの日々は漫然としていました。今振り返ってみると、僕は漫然としていた。大切なものは何かを考えることもなかった。僕には指針がなかった。仕事も家族も大事なんだけれど、死を意識した時に、死ぬときにおれの人生は幸せだったと言い切れるかと自分に問うた時に、正直そうは思えなかった。

 

―それがキャンサーペアレンツを始められたきっかけなんですね。

 

スタートは、繋がりが欲しいという小さな、僕個人の思いから始まった活動です。自分と同じように小さな子どもを持つ親という境遇ならではの相談ができる人と繋がりたいと思ったんです。そこで、ネットで人材をマッチングするビジネスをやってきた経験を活かして、やってみようと思いました。

 

― その後どのように活動されてきたのでしょうか?

 

いざサイトを作ったところで人が集まってくるわけではないので、患者会や主治医に相談してみたり、新聞社やTV局にも取り組みの内容をメールで送ったりしました。2016年4月に立ち上げて、その年の8月に雑誌に取り上げていただいたこともあり、会員がいっきに200人に増えました。今では1400名を超える会員がいらっしゃいます。

 

―ネットワークを繋ぐという意味では成功されているという印象なのですが、現状をどう捉えられていらっしゃいますか?

 

繋がることも大事で、当事者だからこそ相談できるという環境がある一方で、自分たちだからこそできることがあるのではないかと考えています。例えば僕らの経験を講演会などで伝えると、初めて聞いた、気付きがあったという声をいただくことが多かった。そのとき、弱者とされている僕たちの経験や情報自体が社会に価値があるんじゃないかと思えました。

 

―そこが西口さんの取り組みで特別な部分だと感じます。

 

がん患者は治療費や生活費が大変なんですが、幼い子どもを持っていると当然先のことも心配になります。また、このネットワークを継続的に運営していくにはやはり費用もかかる。だから、自分たち患者も、社会も、運営も三方良しを実現することが大事だと思うようになりました。

 

―がん患者だからこそ社会に提供できる価値があるというのは素晴らしい発想だと思いますが、他にはどんな取り組みを考えられているのでしょうか?

 

僕自身、シビアながんなのにもう3年になります。主治医もこの状況に驚いている。僕は、こういう活動をやっていることが自分を長生きさせてくれていると感じていますし、現在大学の医学博士などにも打診して、キャンサーペアレンツを研究対象としていただき、遣り甲斐を持つことや、コミュニティを持つこと、幸福感が病との闘いに影響することを証明していきたいと思っています。病気になっても、行動することによって、よりポジティブに生きることができるということを科学的根拠を持って示していきたいなと思います。 

 

―生きた先に何を実現されたいですか?

 

やっぱり子どものライフイベントに立ち会いたいです。傍にいたい。

 

 

―西口さんは、がんという苦しい現実を受け止めて更に大きく一歩踏み出された。それは幼少期から聞いてきた西口さん像と変わった気がするのですが、いかがでしょうか?

 

どこかで何かやりたいというきっかけを僕はずっと待っていたのかもしれません。おれは出来るんだぜという虚勢を張って、けどやれなくて、くすぶっていて。社内の出世レースからも遠ざかっていくことを感じながら、どこかできっかけをずっと探していたのかもしれない。本来的には能力もスキルも持っていなかったのに、自分に文句を言ってきただけだった。がんになって、一山当てたいとか、勝てる場所に行きたいとか、目立ちたいとか何にもなくなって、自分自身の本当にやりたいことはなんのかを考えた。そうすると、これはチャンスなんだと感じるようになりました。もしかしたらチャンスはもっと過去にもあったかもしれない。けど、もう目を背けることができないものにぶつかったとき、僕は初めてやりきろうと思えた。

 

―出会いと変化の物語をお聞きしているのですが、これからもそれを求めますか?

 

病に出会って、こんな風に変わってきたからこそ、そういうことを強く意識するようになりました。今までもきっとそういう出会いもあったんだろうけど、すごく鮮明になったという感覚です。

 

 

―これから新しい一歩を踏み出す人に向けて何かメッセージはありますか?

 

僕がそうだったので、これは偉そうな意味でもなんでもなく、僕はよく知っているという意味で、何かをやらない理由ってものすごくたくさんあると思うんです。出来ない理由もたくさんある。言い訳もたくさんできる。だからこそ、僕はやったほうがかっこいいって思います。一歩進んだ人の方がかっこいい。

 

僕は営業として多くの社長さんや創業者の方に接してきました。当時はお客さん同士を比較して、あの人の方が優秀だ、あの会社の方が良いと比較していました。改めて今の自分と過去のお客さんを比較してみたら、かっこ悪いと思っていた人たちのことをとんでもなく凄いなと思うようになりました。どんな言い訳も、やれない理由も乗り越えて、やっているってそれだけで本当に凄いなと思います。

 

僕もようやくやりたいことを始めて、けどやればやるほどもっと時間が欲しいと思う。時間との闘い。だからこそ、あと何十年も生きていける皆さんなら言い訳を乗り越えて、ぜひやりたかったことをやって欲しいなと思います。けど、本当に偉そうなことは言えないんです。だって、僕がそのずっと動けない人だったから。

 

ー僕も西口さんの思いに共感し、ぜひキャンサーペアレンツに協力をしたいと思うのですが、現状どんな課題があるのでしょうか?

 

課題はたくさんあるのですが、まずは男性にもっと入ってきてもらいたいです。現状の会員の7割は女性なんです。僕自身がそうであるように男性ならではの悩みもあるんですが、女性は自由にコミュニケーションしてもらえているのに対して、男性はあまりコミュニケーションしなかったり、輪に入りにくかったりする。キャンサーペアレンツは会員同士の交流のみならず、社会に価値を提供するという目標もあるのでぜひお子さんを持つ男性患者さんにも知ってもらい、使ってもらえたらと思います。

 

―男性に知ってもらう、活用してもらうことですね。そして、僕も含め現時点でがん患者ではない人たちはどういう関わり方ができるでしょうか?

 

寄付という支援活動は大変有難いですし、それだけではなくこのコミュニティやそこから生まれる情報を活かしたマネタイズのアイデア、コミュニティをより良いものにしていく方法、ウェブプロダクトを改善していくアドバイス、広報的な協力など多岐に渡って多くの人に関わってもらえればと思います。

 

―ありがとうございます。ぜひそういった仲間づくりをAND STORYでも支援していきたいと思いますので、西口さんと一緒にストーリーを企画していきたいと思います。今回は貴重な物語をありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。